- 1投稿者:「深意読解」か「けん強付会」か 投稿日:2023/09/23(土)20:06:42
- 「眼光紙背」と「文底読み」
――「深意読解」か「けん強付会」か――
https://imadegawa.exblog.jp/33450206/
■ともすれば恣意的な読み方にも
『聖教新聞』の今日の「名字の言」に、
創価学会第2代会長・戸田城聖が
「眼光紙背に徹す……読書を……勧めた」とあった。
【名字の言】名字の言 「眼光紙背に徹す」 :聖教電子版
https://www.seikyoonline.com/article/47F48C2E1B10369C9444FA5DA9BE4B4D
「その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、
本の中の人物や表そうとしている意味を、
思索しながら……、
作者の……境涯、人生観、世界観、宇宙観、思想をも
読み込」めと言う。
- 2投稿者:ともすれば恣意的な読み方にも 投稿日:2023/09/23(土)20:10:08
- >>1
「眼光紙背に徹す」とは、
「書物の字句の背後にある深意をも読み取ること」だ。
戸田城聖は、
「ここまでしなければ、
本当の読み方ではないと訴えた」。
ここには、
『妙法蓮華経』寿量品から日蓮が
「文底秘沈の一念三千の法門=南無妙法蓮華経」を
見出したとし、
それを良しとした戸田城聖の思いも見える。