1950(昭和25)年06月--日:政治・一般、朝鮮戦争はじまる
1950(昭和25)年08月14日:文部省、8大都市の小学校に9月新学期からパン給食実施を発表。(52年4月に全国に拡大。)
1950(昭和25)年08月--日:政治・一般、「警察予備隊令」公布。
1950(昭和25)年09月02日:後にプロレスラーに転向の関脇力道山、日本橋浜町の自宅で極秘にマゲを切り落とし、引退を決意。
1950(昭和25)年09月13日:GHQ、「学校柔道復活について」という覚書を日本政府に手交。これにより学校柔道の復活が許可
1950(昭和25)年10月13日:学校の体育教材として柔道の復活が認められる。(12月27日、学校柔道講習会を開催)
1951(昭和26)年05月13日:ラジオ体操復活。
1951(昭和26)年09月30日:不具児童救済資金募集を目的に、米・カナダ・仏などの外国人6名、初めてプロレス試合を開催。
1951(昭和26)年09月--日:政治・一般,「対日平和条約」締結、「日米安全保障条約」調印
1951(昭和26)年10月20日:全日本学生柔道連盟結成。同連盟主催全日本学生柔道選手権大会、全日本東西学生柔道選手権大会開催。
1951(昭和26)年10月28日:力道山対ボビー・ブランズ戦。日本人参加の最初のプロレス実施。結果は引き分け。
1951(昭和26)年12月06日:パリで国際柔道連盟結成。会長に嘉納履正が就任
1952(昭和27)年04月01日:GHQ、講和条約発効を前に、新宮外苑の各競技場、メモリアルホール(旧国技館)など接収解除
1952(昭和27)年04月10日:文部省、中学校以上の体育教材に竹刀競技を採用してもよいと通達
1952(昭和27)年08月02日:第1回全国高等学校柔道大会、茨城県体育館で開催。3日まで
1952(昭和27)年09月21日:全日本剣道連盟結成。
1953(昭和28)年05月19日:文部省、社会体育としての剣道に対する制限を解除
1953(昭和28)年12月13日:全日本学生剣道連盟創立。東京神田の国民体育館で、第1回全日本学生剣道選手権大会を開催
1953(昭和28)年12月--日:文部省『青年の体育レク指導の手引き』刊行
1954(昭和29)年02月19日:シャープ兄弟と力道山・木村の初タッグマッチ挙行。このころよりプロレス人気を集める。
1954(昭和29)年03月14日:「全日本しない競技連盟」と「全日本剣道連盟」とが合同して「全日本剣道連盟」となる
1954(昭和29)年11月22日:初のプロレス・アジア選手権、力道山がアジアチャンピオンになる
1954(昭和29)年12月22日:プロレス初の日本選手権で、力道山が木村政彦を蹴り倒し(ドクター・ストップ)、初代王者に。